海辺の街の物語

ヴァケーションのいらない人生

もうこのパターンは強制終了

今日は再び、メンタル関係のテーマについて書くことにしました。

今日読んだ心理関係のブログで再び、まさにぴったり!という内容が出ていたためです。

このブログは前も何回か紹介していますが、『緊張しちゃう人たち』です。

 

今の時点で一番トップに出ていますが、念のためリンクは下記になります。

https://insight-fap.jugem.jp/?eid=4732

 

嫉妬の電気ショックで自白させられちゃう人たち

 

このブログのことを知ったのは、数年前でもう何年も海外に暮らしていた時なのですが、その都度あまりにも内容がぴったりなので何度も参考にさせていただきました。

それがまた今回も、こうしてとても分かり易くどこか思っていたことを適切に書いていただき、スッキリしました。

この内容は、もし私のブログを読んで下さっている方だととくに、当てはまることもあるのではと思うのです。

『自白させられちゃう』とは私がそんな感じでよく、自分の頭の中にあることを全て洗いざらい話してしまう状態でした。

私がこのブログであまり細かく個人的なことを書かない、その理由の一つがここに書かれています。

そして実生活でも、人に自分が何をしようとしているか、仕事で何が起こっているかなど、あまり話さなくなりました。

前も仕事のことでそのことを気を付けていたことがあり、その時は言わないために仕事が続いた気がしたのです。

実際、色々話す機会があっても敢えて話さないことで、結果として仕事が入っていたこともありました。

その時の経験もあって、今も滅多に仕事のことなどは人に話さず、話したとしてもごく限られた人に大雑把なことだけ。

 

 

それは何度も上の記事にあるような状況に見覚えがあり、実際に段々、「ま、まさかそうなのでは・・・」と察知して来たからでした。

このブログの記事に書かれてあるように、対策として「余計なことを喋らない」がまさに必要でした。

これをようやく察するまで、考えていることを洗いざらい話し失敗したと感じたことは数え切れません。

これは恐らく、経験されたことのある方は多いのでは、と思います。

また、ブログの内容にもある通り、「相手は表面的には応援している感じ」とあるのも要注意でした。

そう、実際にだからこそ安全で喋っても大丈夫、そう勘違いするのですが、実際には全く言っていることと思っていることが違う!!!と後から釈然としなかったのがハッキリ分かることに。

すると自分が一体どこで何を間違えたのか、本人にはハッキリ分からず、だけどその人に会っても何か上手く行かない、物事が進まないと表(応援してくれているはず)とは全く反対の結果になるのでした。

今回、このブログに当たった方はこれで晴れてこのパターンから自由になれる、もう同じ手には二度と乗らない!となることを祈ります。

現に私もこうしてやっとここまでハッキリしたことで、段々数年かけて変えてきた自分の言動、「人に何もかもなぜか話してしまう」癖から脱することが出来そうです。

そして同じようなパターンで何度も失敗してきた方、一見周りは「味方」のはずなのに何かおかしい、消耗する、そんな方のパターンを打開するきっかけになればと願わずにいられません。

何となく感じるのは、このパターンで今まで何人もの人達が実は自分たちの持っている力や能力を発揮出来ず、その機会を失い、自分達の能力を疑ったり自己価値が低くなってきたことです。

そして日本は周りの人達との輪を大事にするのと、だからこそ個人独特の能力が発揮しにくい面があるため、もう日本人全体でその傾向を変えたい、そんな集合的思いがあるのかもしれません。

上に紹介したブログを書いているのは人気カウンセラーで、当てはまる人が多いから本も沢山出版されているのだと。

 

すると、日本人で馬鹿正直に自分のしようとしていることや、出来ることを他人にありのまま話した結果、それが出来ずに悩んだり壁にぶつかった人達が多いのでは、ということです。

その結果、似たような思いをしてもう失敗したくない、人の目や思いに囚われて身動きが取れないのは嫌だ、その囲いから自由になりたい、という人達が日本には一番多いかもしれないこと。

人口以上にその「想い」、その強さの度合が他の人種や国籍の人達よりも突出しているのでは、そう勝手に思うのです。

日本以上に抑圧された民族や国民、人種も結構実は多いのは事実でもあります。

日本も大変な歴史を背負っていますが、私がこちらで出会ってきた他国の様々な人達もかなり悲惨な歴史を乗り越えて来ていたり、元々完全に奴隷として扱われていたり、という事実もありました。

 

ただ日本の場合、輪を大事にする性格が諸外国よりも強く、同調圧力も半端ないため、自分を抑えて周りに合わせる傾向が強いこと。

そこで最初の『嫉妬』に関するブログと繋がるわけです。

 

言い換えると、この問題にかけて日本人は突出してエキスパートになれる可能性もあることです。

そして先にその問題を解決する、乗り越えるのも日本人かもしれないこと。

もし日本が世界に先だって、自分達の才能や能力をつぶされることなく、本気で伸ばせる国、そして国民になったら素晴らしいです。

抑圧の歴史とその度合が強い日本は、もうこの問題を乗り越えて行ける、散々ウンザリしており二度と経験したくない、そう思っている人達も多いため脱出する準備が出来ているとしたら。

日本人が世界に先だって、世間や周囲から独自の個性や能力をつぶされることなく、思う存分発揮し、結果として周りも遠慮なく良い所や強味を増していけるとしたら。

そうなる、出来る可能性はかなり強いと思っています。

 

人は最悪の時ほど、最高の部分を発揮して窮地を乗り越えることがあります。

一見最悪な時、嘘みたいだけれど一番最高のことを思いつく。

何度も経験しました。

その時は嘘みたいに思えるのですが、実際にはそれが一番理に適い腑に落ちる感じです。

 

強烈なネガティブ要素には、同じ位かそれ以上のポジティブ要素で塗り替える現象が現れる。

 

強烈なネガティブ要素を同じぐらいのポジティブ要素で塗り替える、という曲は沢山あります。

むしろだからこそ音楽が生きるので、ネガティブさがネガティブになりません。

だから音楽はすごいとまた実感しました。

 

そんな曲の中、一曲だけ。

有名になり過ぎたせいか、Radioheadはこの曲が嫌いだそうですが、私は大好きな曲です(分かりすぎて痛い…!!)。

 

Radiohead

"Creep"

www.youtube.com

 

被害者意識から抜け出す

とても綺麗だった今日の夕日

今日2つ目の記事です。

今朝最初の記事を書く際、いざ書く段になると何か落ち着かず、それまで良かった気分まで悪くなってしまいました。

だけどそんな時こそ書くしかない!と少し強引に書きました。

書くことでスッキリすることが実際にあるため、まず書いて思考を整理する目的もありました。

ただ今日は結構しぶとく、微妙な曇り空のような心は後半まで晴れませんでした。

夜も何か気になって寝られない、悪いことが浮かんですぐに起きてしまうなど、ちょっと大丈夫かと思うぐらいだったのですが。



また他の方達のブログを読み、全然違う生活をしている人達のお話を読むのが楽しい!と感じました。

この所、益々そう思います。

人の暮らしは千差万別で楽しいこと。

他には自分が想像も出来ないような暮らし方、素敵な工夫や経験をされている方たちが多いこと。

それぞれ見習いたいような考えや楽しい発想もかなり参考になります。

このようなお話は、自分の枠を超えるためにとても役立つのでした。



最初の記事を書くことは書いた!と開き直り普段とは違うパターンの行動を続行しました。

これも多少無理やりにでした。

ただ家に帰るまで微妙な気分が続き、先ほど書いた通り今回は大分しぶとい、一体どうしようと気分が晴れるまで長かったです。



それがなぜか吹っ切れたせいか色々と考察が進み、心境もやっと変わって明るくなれました。

たまにこの「浄化」プロセスには時間がかかります。

闇が晴れて光が差すまでの間、暗い葛藤と過去のしがらみを行ったり来たりするような感じ。

その間、また暗いトンネルにでも入ったような心境、周りに人がいてもどこか上の空で気持ちが塞ぐ感じになったりします。



しかしようやく、という感じでもっとイライラしそうだったのを回避できました。

帰りのバスが混んでいて、そういう時は益々暗くなるのです。

危うく癇癪を内心起こしそうになる所、周囲の人達もマナーが良く気を取り直しました。

こちらの人達はたまに、日本のように驚く程マナーが良いことがあります。

外出先、公共の場やバスの中で、見知らぬ人同士の暖かい交流を目にすることもたまにあり、こちらが殺伐とした気分でいるとほっとするのでした。



テーマの被害者意識から抜け出す、と多少関係がある話です。

エンパス傾向の強いHSPという人の場合、特に他人の感情をいつの間にか拾っていることがあるからです。

それもかなり深いレベルで察知してしまうと、自分自身が感じているのとほとんど同じ。

被害者意識も同じく、酷い気分を拾ってしまうとこちらも酷い気分になること請け合いでした。

その意識をどうにか自分から分離すること、自分自身の意識を明確にし、被害者意識は自分ではなかったと気が付けるかです。

自分がもし、その被害者意識そのものでなかったなら。

世界はずっと違って見えてきます。

最初に感じた、謂れのない不安感、恐怖、苛立ち、やるせなさ、どうしようもない塞ぎこみ、孤独感など・・・数多くのネガティブ意識があるのが、被害者の意識です。

そうすると、相手に同情して被害者を可哀そうだと思う、その気持ちすら上に挙げたような感情になってしまいます。

そうなるともうずっとイライラ、悲しい、落ち込み、暗いなど、どこか救われない気分が続くのでした。

そこでこの感情を晴らすのが第一優先となります。

なぜなら、こうした感情に囚われている間、気分が落ち込み何も手につかないことが良くあるからです。

いくら自分を奮い立たせよう、モティベーションを上げようと頑張ってみても、どこか空回り。

心は虚しくどこか苦しいまま。

その状態では、何かいいことや自分が好きなことをしようとしても、気持ちが晴れないので折角の好きなことも詰まらなく思えてしまうのでした。



ということで上のような感情の数々に苛まれた場合、一つの手段にはその感情を感じきることが解決策になります。

否定していると、ずっとその感情が付きまとってどこか追い払ってもまた戻ってくることがあるため。

一度追い払って、もう二度と戻らないぐらいのレベルならまだいいのです。

問題は、その位では振り切れない場合。

そうすると、ずっとしばらく(数時間~数十日など)、どこかその不快感が続くことになりかねません。

長くなるとその間ずっと不快感を感じるというより、いつかどこかで晴れ間がのぞくような瞬間もあります。

そしてまた雲が出てきて太陽を覆い隠すように、後から気分が塞ぐことも。

感情の重さと程度によって、そのプロセスが何回も続くことはあります。

ただそれも、辛抱強く自分の感情を否定することなく受け入れ、感じきることで消えていくことが多いのでした。

この感じきることは、自分が感じられる以上に無理する必要はありません。

ただそこにある感情に気が付くだけ。

そして気が付いたら、極力すみやかに水に流す。

具体的には、違うことに意識を向けること。

より重要なこと、何か最初にしたかったこと、やろうと思っていたことに戻る。

そうすると最初に感じていた不快感も、いつの間にか後からやり出したことの方に集中して消えていくことがあります。

被害者意識というのは大体、「なぜ自分がこんな目に」という、やや強迫観念めいた思いに基づいていることがあります。

その思いが本当なのかどうか、それは当人にしか分かりません。

ただその思いを否定せず、ただそこにあると認めてみる。

するとその原因となった出来事が浮かんでくるかもしれません。

もしその被害者意識の大元になった、何か不快感を抱いた出来事が思い当たれば、冷静な目で改めて見てどう思うか。

それは本当に相手が酷いことをしたのか、それとも自分の思い違いだったのか。

または、相手が本当に酷いことをしたとして、その理由は何だったのか。

相手がモラハラ体質やナルシストなど、重要なメンタルの問題を抱えている場合には、難しいけれど相手の問題がそれだけ深刻だと理解すること。

酷いことは酷い、しかし相手はメンタルに問題を抱えている。

その場合、相手を完全に許すのは難しいとしても、相手のメンタル問題と自分自身は別と捉えること。

相手の理不尽な行為は自分自身だけではなく、他の人達にも向けられる可能性が大なのでした。

だから個人的に捉えないことで、もうその相手は目の前にいない相手、と被害者でいることを止められるようです。

相手に怒りやまだ埋もれた恨みなど、色々他のネガティブ感情に気が付くこともあります。

ただそれも問題のある相手というのは、加害者になることが他の状況でも多いことを理解する。

そしてもうそんな被害に遭わないため、同じような言動の相手を見極められます。

Youtubeの動画を見ていて、似たような被害者になった人達が相当多く、その人達の声がどれもかなり共感できることが私自身は大分助けになりました。

あれだけ国籍・人種を問わず似たような被害を受けた人たちがいて、その経験がオーバーラップするところも多いため、自分だけがという怒りからはすぐに解放されます。



簡単に行かないこともありますが、辛抱強くいるため、自分の心を鍛える時間も必要なのでしょう。

最終的には、被害者意識を抱き続けることで得することはほとんどありません。

もちろん労わり、癒しと理解で充分に傷を癒すことは必要です。

だけどその段階を過ぎたら、ずっとその傷を思い出し続けるよりは、新しく違う経験に踏み出す方が回復は早くなります。

前の経験に足を囚われるより、新たな経験に向けて新鮮な気持ちを抱ける方がずっと気分が良く明るいのでした。



今日はそのようにして、以前の被害者意識から大分自由になれました。





ナルシスト、ボーダーライン、自己愛性人格障害や精神分裂症について 3

久しぶりにこのテーマで書いてみることにしました。

 

なぜ人はこうして精神を病むのか、そして被害者になってしまう場合はどう回復すればいいのか、これまで色々模索してきました。

まず、自分の接している相手に問題があることを察する必要があります。

それには、相手の言動やタイプを知ることが必要で、些細な事が段々大きくならないよう、その都度気になることがあったら自分自身の状況と気持ちを把握することが大切だと思います。



ちなみに、私がこれまで対処してきたタイプには、

1.ナルシスト ー 自己愛性パーソナリティー障害に限りなく近いタイプ

2.ボーダーライン ー ナルシストと対称的に、その被害者になるタイプ

3.精神分裂症、統合性失調症になるタイプ



とありました。

その関わりの中で、大分重症だと分かった人達も後からおり、自分自身も必死で近い状態になるのを避ける対策を取ってきました。

そのせいもあってか、例えば重度の3.統合失調性になるタイプの場合、大体接していると分かるようになりました。

それには身近に似たような状態になった人がいる人など、情報交換をしてお互いに理解を深められたのも助けになりました。



前にもどこかで書いたのは、人生も色々な変化を経てしばらくしてから、誰かの問題がより明らかになることです。

当時は良くわからなかった相手の言動に、不可解な感じを抱き分からないながら傷ついたりしたのが、原因が分かって仕方ないと理解できたりしました。



それはもし相手の問題が深刻だと、相手に普通の対応を求めようとしても無理、そして相手が意識していないことも多いからでした。



例えば、統合性失調症傾向のある人や分裂症傾向のある人の場合、以前話したことを全然覚えていない、言動が一致せず予定変更やキャンセルが多いなど、こちらが一貫した行動を取ろうとしても出来なくなるなど。

記憶が不確かになり、相手が他の人格のようになっている場合、考えていることが前に会った時とは全く違うことがあり、そのために記憶が曖昧で飛ぶこともあります。

また、相手の意識も一貫しないことから、前に言ったことを一気にすべて否定して突然覆すようなこともあり得ます。



自分自身も予定を変更したり考えが変わることはある、そのことを含み考えると、それが極端になると問題になってくるのでした。



もし常に相手の言動が一貫せず肝心な時に連絡が取れない、そのようなことがあれば信用するのは不可能です。

そして関わるこちらの精神状態も不安定になり、予定を変更したりして振り回される状態になるのでした。



自分の言動や思考、感情がしっかりコントロール出来るのであれば、それほど度の外れた行動にはならないはずで、どこか突飛すぎたりあまりにも理論的でない思考にも誰もついていけません。



自分が相手から影響されやすい、そのことを自覚してから、関わる相手や言動にはより注意してきたつもりです。

ただ相手も自分も完璧でない以上、完璧さを求めると誰もいなくなってしまうため、ある程度のことは受け入れる寛容さも必要でした。

それはお互い様なので仕方ないとしても、バウンダリーが必須です。

このバウンダリーを簡単に崩してしまうと、相手がいつの間にかやりたい放題でも仕方ない状態になってしまうのでした。



自分が相手を怒らせたから、苛立たせたのは自分のせい、と言って自分を責めてしまう傾向のある人こそ要注意。

それは相手に明らかに落ち度があっても、自責傾向の強い人の場合、そうは思わないこと。

そのため、余計暴君的な相手に付け入れられ、相手は益々言動が手が付けられなくなる・・・という感じです。

それが家族や親しい人の間であると、常にその状態が当たり前になって慣れてしまっているため、自分の状態が何かおかしいことに気が付けない場合もあります。

他人から見て、明らかに何かおかしいとハッキリ分かったとしても、自分では麻痺しているため、その問題に気が付けないまま、相手の言動がエスカレートしてしまうのでした。



そのため、まず必要なことは自分の問題としてハッキリ捉えることかもしれません。

そして相手の問題を区別して考える、それがバウンダリーになります。



身近な相手や家族の中だけでその盲点に気が付きにくい場合、誰かより信頼できる人に聞いてみる、特に精神的な問題に特化した人に相談するのが一番だと思います。

自分で解決しようと思うと、どうしても限界があり問題が長期化した場合、既に相当ダメージを受けてしまうこともあるからでした。



普段の生活でストレスが強く、いつも落ち着かない、トラウマ的な妄想に苛まれるといった症状が出る場合、何か根底的に誰かから攻撃を受けている、モラハラ人格障害的な人の仕打ちによることがあります。

そうすると、夜寝ている間も何か落ち着かないとか、自分自身のネガティブ思考でグルグルといつまでも同じことを考え、結果として気分が良くならない・・・という悪循環に。



自分の精神状態が良い場合、自然と良いイメージが沸いたり、情報も前向きな話がより近く感じられるため、同じく前向きな人達と関わるのが楽になります。



そのようにして自分の精神状態が分かるため、関わる人や入ってくる情報に敏感になると、自分の気分を上げてくれるもの、反対に下げるものと区別できるのでした。



精神的な問題も、傷が深くならないうちに対処するのが一番です。

一旦深くなった傷の場合、修復するのがより困難で長期化するため、覚悟が必要です。

誰でもどこかで何か問題に突き当たるのは人生。

そこを精神的に強く乗り越え、他人を犠牲にしないことが出来れば、その後自分自身も犠牲にすることなく進んでいけるのでした。



これはとても痛ましいテーマで、当事者で被害を受けている場合、直面し実際に修復していくにも勇気が必要です。

ただそのままにしておかず、何か対策を取ることでダメージも減り、その分段々楽になることが出来ます。

自分が何か変わればと一人で努力をする、それも必要な過程だとしても、第三者でその問題から離れた人から助けを得るとより早く抜け出せます。

誰に相談しよう、何をどう始めようと悩み過ぎる間、状況がより悪化することもあるため、改善するための行動は早く取る方が良いのでした。







 

もう必要以上に考えない

ちょっとTwin Peaksにはまって来ました。

そのことをまた書きたくなるような展開に、さすがに違うことも書かないと、と思い直しました。

少し混乱していたのも無理はなく、エピソードの並び方を勘違いしていたため、前のエピソードで3つ位飛んでいたのを発見したのも、より話が繋がり入って行ける要素になりました。

前はなぜ急にこんな展開に?!と、その前のエピソードで終わり方がとても気になるから次を見たのに、ということがあったのです。

そのため、このシリーズはこういう物なのかとすら思っていました。

ところがそれが勘違いだったと分かってから、キャラクターの性格や言動がより腑に落ちたため、すっきりして今度は続きが余計気になるわけです。



こういう脳のちょっとした思い込み、勘違いを正すのも、久しぶりに長いシリーズを見てその世界に浸る利点なのだろうかと思いました。長い話を筋道立てて理解するには、自分の脳も筋道が立っている必要があります。

推理小説や探偵ものが好きだったのは、理論的な展開で頭にも良いことを実感していたからでもありました。

推理小説でプロットが細かい所までしっかり出来ている程、トリックや付箋も生きてくるため、見たり読んでいて説得力があり物語に入っていけます。

キャラクターも現実味を帯びて感情移入するには、現実感があるとより親近感が沸きやすいのでした。



今日は改めて、もうあまり頭で考えすぎずに行動することの大切さを書いておくことにしました。

元々、考えすぎる傾向があった私は、行動する前に石橋を叩きすぎて壊す典型的な面があったこと。

そのために行動していたらチャンスになったのに!と思ったことが何度もありました。

それを逃さないで行動に移すことで、実際に現実が変わるため、考えているだけだと時間ばかり過ぎてしまうのです。

一旦行動して結果を見てまた行動、という風に連続して動くこと。

休みが必要な時は休むけれど、それも考えすぎて休めないのでは元も子もありません。

鬱などに陥る一つの理由には、動かないで考えすぎるのもあるのではと思いました。

休息も必要以上になりすぎると、頭も体も怠くなり回復が進まないのではということです。



こうして書くことも行動の一つだし、書くことも考えすぎると今度はどれも書くには足らない、書かなくていいことに思えてしまいます。

ブログでアップ出来ない場合、こうして考えすぎるから書けないという内容はいくつか他でも読みました。

その通りだと思います。

何でも100%になるまで待っていては、決してその時は来ないこと。

自分の中である程度満を期して動くしかなく、誰の何の基準か分からない100%、「充分」になるのを待っているといつまでも充分になりません。

そういうことでいくつか日常の延長でもやることをこなし、また次に現れる現実に対応していきます。

 





自己愛性性格障害かもしれない人達と、接する際のプロテクション

このブログにも何回か書いたと思うのですが、誰かを『自己愛性性格障害者』、または『ナルシスト』と、専門家でもないのに勝手に自己判断で決めつけてしまうのは、危険とのことです。

これはYoutubeの『ナルシスト対策』系の動画で何度か言われていたことで、私も強く同意すること。

それと、誰でも微妙なりともその傾向を持っている、または特定の出来事や時期に発現してしまうことがある、そんな事実も受け入れる必要がありそうです。

ただ、長期に渡る病的なレベルの場合、微妙だったり特定の出来事や時期で発現してしまうケースとは異なり、問題がより複雑になります。

誰でも間違いがあること、成長することを考えると、一時何かの折に似たような症状が出たり、特定の人間関係で問題がでることは、長期的でより病的なケースとは全く違う問題。



これも「ナルシスト関連」の動画やコメントで良く出てくる、「自分自身がそうではないか」と疑って悩んでしまうケースについて、やはり徹底して病的なケースとは違うことが明確になりました。



その被害者達は、自己反省が激しくてむしろ自分を責める傾向が強い = 簡単により深刻なナルシスト傾向のある人達、自己愛性障害者の犠牲になる



上のパターンも、特に長期間に渡って、ナルシストやその傾向が強い人()から、精神的に痛めつけられたこそ、余計そうなること。



被害者にならないで済むのは、最初から自己反省などしない、相手のことなんて気にしない、そういうタイプだと思います。



そうでないからこそ、反対のタイプに入られると、ずっとそのパターンで本人も気が付かない間に余計被害者にさせられてしまうのでした。



私が見ているYoutubeの動画だと、英語でまだ日本語字幕のあるものは見つかりませんでした。

というのは、私がこのナルシスト問題にハッキリ気が付いたのが、英語圏で対処したケースだからでした。

まだ理解を深めているので、日本の情報は少ない段階です。



ただ、いくつか同じテーマでブログ等を見ると、英語圏で語られているのと内容はほとんど同じ。



ちなみに、私がこれまで参考にしてきた人達に、Richard GrannonSam Vakninがいます。

どちらもすごく的確な内容に驚く位、コメントでもパターンがとても似ていてオーバーラップする人達が見ていると分かりました。

英語のキャプションで見られる方で、この問題にお悩みの方にはお勧めです。

Richard Grannonセミナーなど色々主催しており、Sam Vakninは「ナルシスト関連」と言えばエキスパートとして有名で、英語圏の友達にも勧められました。

但し、Sam Vakninは彼自身、ナルシストと公言しており、その内容に多少疑問を抱く人もいる様子。

それでも、その当人が語るだけ、その意識分析は相当説得力がありました。

流石、本人がそうだとその奥底まで知り尽くしている、そんな内容です。

彼らのビデオを個別に見るのも良いですが、こちらに2人の対談動画がありました。



https://www.youtube.com/watch?v=FUFnjS259PQ

Difference between female narcissists and male narcissists - Sam Vaknin & Richard Grannon

(女性ナルシストと男性ナルシストの違い ー Sam VakninRichard Grannon対談)



Richard Grannonの場合、彼自身がナルシストとの関係に悩み、それを克服したという経緯が細かく語られています。これも、経験者や被害者には相当共感できる内容だと思います。





人は変わるし、変わることを許すのも必要だと思います。

何か間違いが過去にあっても、その失敗から学び、違う自分になるのも可能だと。

そうでないと、いつまでも過去に縛られて、「あの人はこういう人だ」という固められたイメージの中で生きないといけません。

そこで何か間違いがあっても気付いたら正す、そしてより良い思考や行動に変えることで、違う自分として生きられます。



もし「ナルシスト的な疑いが濃い人」とのやり取りで、自分が消耗して無理だと悟ったら、すぐにその関係は絶って次に進みます。

まだ微妙な段階で分かると、この位ならダメージにならないし・・・というレベルで済ませられます。



あとは冷静にきちんとやり取りを残しておくと、こちら側の勘違いも避けられ、より平等なコミュニケーションが取れるのでした。

この証拠を残す、やり取りを残しておくのは、それだけで将来の色々なトラブルが避けられるため、私も気を付けるようになりました。

前はつい感情的になったりして、不快なコミュニケーションは全部すぐに消すなど、とにかく記憶から消したい一心でした。

ただ、多少嫌な気分があったとしても、安全対策でどこかフォルダーにその記録を取っておくことで、きちんとこちら側の立場を守れるのでした。

また不快感も、淡々と事務的に処理することで、段々気にならなくなり、個人的には捉えなくなります。

裁判で記録を取るみたいなものです。

もし自分に有利な事実があれば、それがハッキリ提示できます。

また、自分の側におかしな言動がなかったか、相手に誤解を与えたかどうかなど、客観的に振り返ることができます。

コミュニケーションで誤解が生じていたら、単にその誤解を正すだけ。

ナルシスト問題とか、自己愛性障害とは関係ないことも明確になります。



「ナルシスト」傾向が強い人または、「自己愛性障害者」は、こちらの意識を不確かにさせた上、攻撃する傾向があります。

はっきり文書やコミュニケーションの記録があれば、相手がどんなに話を捏造しようとしても大丈夫。

ディフェンスがまだ弱い段階だと、自分がまず不確かになっている、だから相手の言うことが正しいかもしれないと思い、相手に隙を与えてしまうのでした。

 

何でも出来るだけ事実のみに徹して記録を取る、文書や音声で残しておく、こうしたことを習慣にすると、自分のことがより信頼できるようになります。

そして他人の都合で勝手に動かされなくなり、プロテクションが増すようです。

 

自己愛性性格障害、ナルシズム問題

 

色々見ていると、この問題、ナルシズムと自己愛性性格障害に絡んだことが表面化しているみたいですね。

前からそういう被害者の方達の声はあったのでしょうが、この所、私自身がYoutubeなどの動画を色々見続けていたせいか、よりこの問題の深刻さが実感出来てきました。

疑いを持たれた方は、他のブログやYoutubeの動画で沢山、より詳しくナルシズムや自己愛性障害について、かなり的確な分析等があるので、参考にされてみてください。

 

そして私自身も、この問題が緊急で解決が必要だという気持ちから、何か書かずにはいられない今日この頃。

本当はもっと切り込んで色々書きたい所ですが、最近は何かしら緊急な空気があるせいか、どこから何を書いたらいいやら状態です。

 

私自身も、最初は自分の対面している相手や問題が、まさかそこまで深い問題に直結しているとは思わないでいました。

 

それが被害がやがてハッキリ明確になったことで、これ以上無理だと断ち切る決断が出来ました。

 

人は何かが自分にハッキリ害を及ぼしている、しかもそれが命の危険すら伴う、その位の実感が真剣に持てないと、完全にその何かを断ち切れないのかもしれません。

 

これがもっと早く断ち切れる人の場合、そこまで害を受けずに済むので、とても賢いと言えます。

ところが、特にナルシストの場合、かなり巧妙に隠すのが常套手段なので、同情心に厚かったりいつも何か希望を捨てない人は、「必ず良くなる」などと信じて断ち切れないこともあるのでした。

 

というのは、私自身のケースに近いです。

自分で自分のことを、「同情心に厚い」、「いつも何か希望を捨てない」というのも、やや気が引けますが・・・。

もちろん、相対的に見て、私よりそういった気持ちが強い人は沢山います。

ただ、私自身の状況において、ということで、関わった相手や状況に対して、何か出来ないかと思う気持ちが裏目に出てしまったこと。

希望を常に見出すのも、どこで切るのか分からないと泥沼に嵌ることもある、と学びました。

 

自分が生命の危険、健康を害してまで、相手を助けられるものではありません。

相手がどんなに傷ついていても、自分を守れるのは自分しかいない。

そしてどんなに誰かに良くなって欲しいと思っても、誰かが自分自身で良くなりたい、そう思わない限り、誰もその人のことは助けられません。

 

例の「ビーチファイア(海辺の焚火)」で出会ったある方も、こちらで統合性失調症を治療するとてもいい先生がいると言っていたのですが、その先生のポリシーも一貫しているとのこと。

それは、『患者が良くなりたいと思っていなければ、自分の所に連れて来るな』だそう。

つまり、本人が良くしたい、良くなりたいと思っていなければ、どんな治療も無駄ということだそうです。

これには私も同意。

 

ナルシストやその傾向が強い人の場合、とにかく自分を悪いとは思えない、という所があるようです。

自己反省が出来ない、悪いのは常に周りか相手。

自分には何も落ち度がない。

だから関わる相手や社会が悪いに決まっている。

という思考回路。

それだと、何か自分で顧みて治すことがあったとしても、全く気が付けないまま。

人に何か言われても、そんなことは絶対自分にはない、その一貫で付きとおす。

そうなったら怖いと、私も気を付けて、自分が何かズレ過ぎていることがあれば、顧みる習慣を身に着けて来ました。

痛い所でもみること、自分自身を360 degreeのアングルから出来るだけ見る。

それが難しい場合、誰か信頼する人に意見を求める。

何か違う意見でも、一応聞くだけ聞いてみる、など。

 

ナルシスト的な傾向が強い人は反面教師で、その点、気を付けた方がいいことを知らせてくれたのでしょう。

聞けばその傾向が強い場合、年々酷くなり、年を取る程治すのが難しいとのこと。

だから余計、こちらも早期発見で何か怪しい所があれば、自分で微調整してその『病気』について、よく認識しておくのがいいのかもしれません。

 

他の方のビデオやブログにもありましたが、もうこの問題は放っておけない、人類が今の世代で乗り越える問題なのでは、と強く思います。

Youtubeでもそういうコメントがたまにあり、とても共感しました。

その問題が乗り越えられたら、きっと人類はまた一段階上の意識に行けるはず。

そうすると、本当に素晴らしい世界になると信じています!

 

 

 

癒しのビーチファイア (焚火) 再び

先日、また海辺での焚火があって、行ってきました。

今回は火の写真も撮って来て、満足です。



焚火を囲んでの癒しの時間はかなり良いので、海辺でなくてもお勧めです。

ただし、火の扱いにはくれぐれもご注意を!

それだけ、相当注意が必要ですが、暖かい火に囲まれてリラックスするだけで、癒し効果が絶大。



人数が多いと、みんなと話せないのは仕方ないですが、大体聞く必要のあることは入ってくる気がします。

もし何か逃したら、また次の機会があるはず。



 

今回の焚火で、また色々話せました。

まだ初対面の人達も多いので、果たしてそんなに話して良いのか、多少思う場面もありました。

ただある程度、近い認識がある人達の集まりということで、安心して話せたのもあります。

それと、私はこの所特に、もうあまり周りからどう思われようが気にしない!を徹底するようにしているため。

普通話せないような事を話す、それは多少のリスクでもあります。

ただ、誰にも話せないことを抱えすぎると、今度は孤独感や疎外感を必要以上に深めてしまうのでした。

そして最近、このブログでも『ナルシスト』という人格障害による心理的虐待など、重いテーマにも触れるため、もうそろそろ、分かる人には話しても平気だと思えるようになりました。





この問題を抱えて悩む人達が、自分だけが悩んでいるとかおかしい、そう考えて自分を追い詰めるのはもう止めにしたい、そう思います。

他のソーシャルメディアでも、似たようなテーマで夫婦や家族関係の問題について、自らの経験を語り他の人の自立や、問題解決を手伝っている成功しているセラピストなど、私も見て励みになりました。

Youtubeの動画もそうですが、この『ナルシスト』や『人格障害者』達に悩まされた人達、そしてそのトラウマから解放され癒されている人達のコメントなど、相当熱いものがあります。

それは今まで社会でタブーとして話せなかったこと、話すと周りから自分たちの家庭やパートナーに問題があることを公表して「恥」と見做されることなど、色々恐れて余計被害者になっていた人達が、同じような情報を共有することで癒されているからです。

その繋がりが強いのは、特に被害者の人達の経験がかなり似通っているからだと思います。

つまり、同じような加害者(メンタル、ナルシズム、ボーダーラインなどの人格障害)から害を受けて来た結果、パターンがとても似ているからでした。



ということで、その話題に触れると、やはり結構分かる人がいるので、実際に何かしら似たような問題をくぐり抜けて来た人達がいることを実感しました。



そして共通しての対策は、とにかく「プロテクション」。

守りを強化する、害になる人を寄せ付けない、自分の意識に入らせないこと。



個人的には、焚火を囲んで人と話したりするのは、下手な病院やクリニックで知らないお医者さんに相談するよりも、ずっと癒し効果があると思っています。



ただ、もし人と上手くやっていけない悩みがあるとすれば、その道のエキスパートに聞いて改善しておくと、普通に集まることが目的の会に参加しやすくなるのはありそうです。



私の場合、人との付き合いややることが増えると、今度は疲れてしまうので、ある程度制限も必要になってきます。



予定が重なる時は重なるので、多少セーブしながら、付き合いも仕事関係の予定も限定していれることが必要です。



軽く受けてしまうと、後でいい加減になったり、最悪の場合、疲れて出来なくなったりします。

それなら最初からやらない、受けない方が良かったと思います。

前はもっと急がないと、と必要以上にプレッシャーを感じ、することがきちんと出来ないことが良くありました。



もう無理し過ぎない、出来ない段階なので、自分の快適なペースを保つことにします。



元々、この国は特に日本の都心にあるような、忙しさ、とにかくスピード重視で速くやらなければ、というプレッシャーは薄い方でした。

それがこの所の物価高や競争で、段々日本の都心みたいになっている、それが残念でもありました。

ただそうは言っても、まだ自然が多く、特に自然を大切にするタイプの人達だと、そこまでせかせかしていないことがほとんどです。

また、樹々が多いので、それもすごく空気が良い癒しになり、私はもう樹々が多い所でないと暮らせないと思っています。

だから日本に住むとしても、もう都会ではなく、田舎に住むしかないと思うのでした。

そしてスローライフを楽しみ、都会の価値観とは違う価値観で生きるしかないのだと。

前からそういう所はありましたが、この所、それが益々顕著になっています。