海辺の街の物語

ヴァケーションのいらない人生

久々にいきなり映画の感想、『セッション』について

かなりご無沙汰しています。

前回書いた通り、人生最大級の変化を経験しており、通常運転とは程遠い生活をしています。

その一環で少し驚きの映画を観たので、その感想を取り急ぎ書いてみることにしました。

これもブログ復帰への前章となるかです。



映画『セッション』とは、英語のタイトルがWhiplashと言います。

もしかすると評価が高い映画なのでご覧になった方も多いのでは、と思います。

私も以前、友達でしかもドラマーから勧められ気になっていたものの、あまり観る気がしないためしばらくしてやっと機会があり観ました。



観た感想は、かなりの問題作だという個人の意見です。



そして調べたら案の定か、アカデミー賞5部門にも候補になったと出て来て納得。

私の中ではアカデミー賞に選ばれる = それ程実は人にとって有害

という図式があるせいか、この映画がその候補になり批評家などから大絶賛だったのも頷けました。

この点、価値観が私と違う方の場合、大分反対の意見に思えるのではないかと予想します。



ただ私自身の意見として、この映画は非常に危険かつ自分が影響されない方がいいという方向です。

その為にこの記事を書く事を思いつきました。

何がそんなに問題かと言うと、映画の他の感想や映画レビューのサイトで視聴者からの採点でも、私と似たような意見を書いていた人もいること、つまり虐待的な行為の正当化、美化でした。



芸術の為なら全てを犠牲にしても構わない、時には自分の命すら惜しまない。

それは芸術家なら理解できるという人も多いと思います。

しかしそれを意図的に敢えて仕向ける為、人に対して暴言を吐いてそれをまるで善き事のように扱う所はどうしても受け入れられませんでした。

それでも良いという場合、本当にそれでいいのかな、と思ってしまいます。



ネタバレになるので、この先は映画を観たい方、内容を先に知りたくない方は飛ばした方がいい部分です。

私としてはネタバレする部分を書いて、この映画に対する危機感を持ち決して影響されない意図です。



かなり核心的な部分に触れてしまうかもしれません。

内容の肝心な所です。



順不同です。

例えば、映画中で語られる、自分の元教え子でミュージシャンとして活躍していたプレイヤーが、

「先日、交通事故で亡くなった」と語られる場面。

ちなみに、観た方はご存じの事と思いますが、この映画はある学院のジャズバンドとその指導者との話が中心に進みます。

その為、先の場面は教授が学院のジャズバンドの生徒に向けて話す内容です。

ある日の練習中、自分の知っているミュージシャンが事故で亡くなり、惜しいミュージシャンを亡くしたとほとんど涙ながらに話す教授。



この場面が一つ、私が問題点としてみる所の一つです。

それと言うのも、その大分後になってから物語の山場と言う所に差し掛かり、ジャズバンドの生徒で実質この映画の主人公がまさに、同じように車で事故に遭う場面が出てくるからでした。

これが一見その繋がりがないように描かれる、そこが怖いと個人的には思います。

それと言うのも、映画の中でその主人公は事故に遭いながらも一命を取り留めるからです。

そして血だらけになって、自分が演奏することになっていたコンサート会場に必死で辿り着きました。

その後は回復した主人公の姿が描かれ、事故はほとんどなかったかのようにすっかり綺麗に完治している様子が分かります。



私がこれは問題だと思う理由に、完治しているから事故に遭った事実が正当化されている、と見えてしまうからです。

あれだけ大変な事故に遭ったとしても、怪我が治って後遺症が残らなければ良かったのか?という疑問。

そしてその事故の一因にもなった、教授の暴言や主人公に対するモラハラがまるでなかったかのように扱われる所。



更に他の場面では、またこちらもサラッと語られるのが、映画の終盤で「生徒の一人が首吊り自殺した」と語られる場面です。

こちらの場面は、ジャズバンドの他の生徒が自殺した事になっています。

その理由は、教授による度重なる行き過ぎたしごき、暴言による人格を否定し破壊するような言葉の数々なのは明白。

その関連も一見曖昧に、敢えて触れないようにサラッと短く語られている、ここがかなり問題だと思います。

私の中ではこういった極軽く語られるセリフ、短い場面で一見大筋から隠れてしまう所、これが大いに問題だと認識しました。



その為、敢えてこうしてハッキリ、そのような場面について書いてみました。

書かずにいられない位、モラハラモラハラ、暴言は暴言で人を自殺に追い込んだり人格破壊や自己破壊まで追い込む言動の数々に疑問を持ったからです。

わざと深刻な事をそこまで深刻に考えさせまいと、軽い短い場面で一言位しかその件に触れない・・・そこに悪意を感じます。

それが先に書いた、元生徒の事故死の報告、その後の主人公の全く同じような車の事故、そしてその後に書いた、他のジャズバンドの生徒が首を吊って自殺した報告の場面でした。

恐ろしいのは、こういう場面の仕掛けが他にもある可能性です。

ちょっと見過ごしてしまうような場面でも、こういう細かい設定が隠れている可能性もあります。

すると一見意識に入っていないようでいて、後からしっかり作用している事があるので警戒しました。

この手の自己愛性障害者やサイコパスによる他者への攻撃は、言葉による物でも立派に心身に影響する事があり、それが上の場面でも現れていると思いました。

芸術だから何をしても許される訳はなく、それ以上に人間の尊厳や自己と他者への尊重を重視すれば、こういう話は出来ないはずです。

最後は一見ハッピーエンドに見せておきながらも、途中で起こった悲劇はどうあっても正当化されません。

その為に、この映画が一番好きとか、良い意味で衝撃を受けた、そんな感想にはただ危惧を抱きます。

私としてはこの映画はちょっとマズい映画、見たとしたら反対にモラハラ人格破壊者の言動を知る映画、その対策に使う映画として捉える映画です。

前にもボーダーラインや人格障害についてブログに書いていました。

そのテーマにピッタリです。

そういう人格障害者や自己愛性パーソナリティーの問題に対処した事のある人だったら、おそらく分かると思います。

あの映画の教授の言動というのは、そのままああいうやり方で巧妙に平気で嘘をつき、かつ人を陥れるやり方、人に自分を信頼させて見事その信頼を後から打ち砕き自己を破壊するやり方、という事でした。



色々この映画について他の感想もあると思います。

あくまでも私自身の感想ですが、私はこの映画は好きではありません。